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カウンター3

2014/08/22

「てつめん餅」

 昨日は、太地町から来ている予備校生のお母さんが、亀八屋の「てつめん餅」を持ってきてくれました。以前にも頂いたのですが、これがとてもおいしいのです。昨日は、沢山持って来ていただいたので、みんなで分けて頂きました。みんなのおいしそうな顔を見ていると、それだけで、いい気分になってきます。

 

 木曜日の7時からは、高3の基礎英語クラスです。昨日は、沢山の生徒が来たので、大教室に変更して授業を行いました。クラブ活動が終わってからやってきた生徒たちも、「お客さん」の顔から、「受験生」の顔になってきました。単語、基礎文法の説明、入試問題の実践練習を行いました。授業をするのが、楽しみです。

 

 廊下のごみ箱は、いっぱいになると、予備校生が中心になって、ごみ袋を取り替えてくれています。気付いた時には、私もやるのですが、すぐに手伝ってくれるのです。有難いことです。ペットボトルのキャップも分別して集めるようにしています。

 

 今日は、予備校生の実力テスト。2週間に1度のテストです。テストを行っている時の生徒たちの緊張感が伝わってきます。このテストが、予備校生活の、まずは小さな目標となっているのです。この前に来てくれたOBもテストの話をなつかしそうにしてくれていました。みんな同じ思いでテストを受けて、乗り越えていっています。頑張れ!今日の君たちの頑張りを楽しみにしています。

2014/08/21

「雨の日も、晴れの日も試合ができてよかった。」

 昨日、三重高校に、接戦で敗れてしまった熊本代表の城北高校。監督さんが、インタビューで、「雨の甲子園でも、晴天の甲子園でも試合ができてよかった。選手たちにとっては、いい思い出になったと思う。」と語りました。いい言葉ですね。

 

 試合後のインタビューでも、ひたすら技術的なことばかり語る監督もいます。まだまだ若いなと思ってしまいます。こんな気の効いた言葉を語れる監督さんになるには、人間としての年季を積む。それしかないですね。

 

 末次監督、63歳です。「末次」、九州の苗字ですね。福岡県出身。西日本短大付属を出て、新日鉄八幡で投手として活躍。八女市職員をしながら、母校で監督を務めて、阪神タイガースの新庄選手を指導したそうです。1996年から城北高校職員兼野球部監督。きっと今までに、いろんな事を経験してきたんでしょう。だから大抵のことには、驚くことはないのでしょう。

 

 城北高校は、かつて、小さなエース、井口投手を擁し、準優勝に導いた勝山監督が、京都商業をやめた後で、熊本に移り住んで、監督をした学校です。その後、京都商業も出て来れなくなりました。今は、京都学園と名前が変わりました。

 

 朝日新聞18面に桐蔭高校の名前が出ていました。圧倒的な強打を誇って勝ち上がってきた敦賀気比高校が、大会最多得点記録に届くかどうかと書いてあります。第7回大会で優勝した和歌山中学( 桐蔭 )は、4試合で、75得点をたたき出したとあります。

 

 新聞の地方版には、新人戦の組み合わせ抽選の結果が掲載されています。初戦は、南部か。強敵だな。何とか、生きているうちに、甲子園で母校の応援がしたいという気持ちがますます強くなってきました。

2014/08/20

「超超スローボール」

 大学4年生になる予備校部のOBたちが、昨日、同期会を行ったそうです。半分ぐらいが集まったようです。その会の集合時間の前に、5人が塾に立ち寄ってくれました。全員就職も決まっています。すがすがしい顔をしていました。

 

 「朝起きて、大学に行く時に、まず先生のブログを開けて読むんです。アップが遅い時は、何かあったのかな?と思います。」

 

 と言ってくれる人もいました。ありがとうございます。そんなみんなに支えられて、ブログを書いて来れました。6年6カ月、毎日書き続けています。

 

 東海大四高、残念ながら負けてしまいました。エースは、昨日も、いいピッチングでした。彼の投げる、「超超スローボール」いいですね。その球をめぐって、元アナウンサーの人が、かなり厳しい発言をしたので、物議を醸していますが、なかなかあんな球は、投げられるものではありません。また、その球を投げた後の「笑顔」が、相手チームを侮辱しているともありましたが、全くそんなことはありません。さわやかそのものです。一体、どこが、侮辱しているのでしょうか?もっと、学生野球を侮辱したような態度をとるチームは、いっぱいあります。アウトになった腹いせに、1塁ベースをけり上げる。審判にボールを転がして渡す。首に懸けてもらった準優勝のメダルをすぐに外して、ポケットに入れる。負けた悔しさで、マウンドにグラブをたたきつける。攻守交替のときに、走らない・・・・。見ていて、「プロ野球か!」と思えるようなチームもあります。

 

 彼のスローボールが、注目を浴びるのは、そのスローボールを十分に投球に行かしているからです。びっくりするほど、コントロールがいい。真っすぐが、生きていて、きれのいいボールを投げます。今の高校生は、プロ野球の選手のような立派な体格の選手が多くなりました。そんな中、彼は、168cm、59キロ。ちょうど私の高3の時とほぼ同じサイズです。そんな小さな投手でも、十分に甲子園で通用するということを知らしめてくれました。

 

 全国大会で、誰もやったことがないボールを投げる。素晴らしいことです。上に進んでも、是非、そのボールを生かしながら、甲子園で見せたような投球をしてもらいたいです。

2014/08/19

夜間学部

 昨日の朝日新聞の夕刊に、関西大学の天六校舎が、解体されて、住宅地になるという記事が載っていました。かつては、大学に夜間学部が存在していました。それを2部と呼んでいました。同志社、立命、関大、近大・・・いろんな大学に2部が存在していたのです。

 

 それが、バブルを迎えた頃、「勤労学生」が時代の流れに合わなくなってきて、閉鎖されてきました。現在では、関西では、大阪経済大学と大阪教育大学に2部があるだけです。

 

 昔、予備校部の生徒で、8月になって、受験をやめると言ってきた生徒がいます。父親のやっていた仕事がうまくいかず、今まで住んでいた家を出て、家族で小さなアパートに、家族全員で引っ越したそうでした。そんな彼を、何とか説得して、関西大学の法学部2部に進学させたことがあります。入学式に着るスーツを、予備校の下にある紳士服チェーン店でそろえてあげました。その時の嬉しそうな顔は、今もはっきりと覚えています。

 

 そんな彼が、大学を卒業する前に塾に立ち寄ってくれました。

 「先生、関大の2部に行って本当によかったと思います。2部には、いろんな人がいます。仕事帰りのサラリーマン。昔大学に行けなかったので、仕事を定年退職してから、やっと来れるようになった、年配の人。新地のお姉さんは、お店でお客さんの話についていけるようにと通っている人もいます。みんなの授業に対する真剣なまなざしが、教授にも通じるのだと思います。ある教授は、2部で教えるのが本当に楽しい。1部は、雑談をする生徒がいたり、眠っている生徒がいたり・・・。授業をしていても全然張りがないけれど、2部の授業で、みんなの真剣な目で見つめられると、気合が入ると言ってました。2部を進めてくれてありがとうございます。」

 

 と語ってくれたことがありました。バブルの華やかな頃、時代に合わないと閉鎖した2部。今こそ2部が必要な時代になってきたのではないかと私は思います。施設や設備は、いつも時代の後からついていきます。今、受験生が減少している中、各大学は、社会人を取り込もうと躍起になっています。各大学は、梅田にサテライトキャンパスを設けて、サラリーマンを取り込もうとしています。もう一度、2部を検討してもらえたらなと思うのです。

2014/08/18

予備校生へ

 おはようございます。今日から予備校生は授業再開です。ここからは、秋の陣ですね。今までコツコツと蓄えてきたものを、一気に爆発させて下さい。必ず結果になって出てきます。今週は、7月にやった模試の結果が返ってきます。その結果を踏まえて、個人懇談を行います。

 

 昔、海南高校からKGで浪人を選んでくれた女の子がいました。一生懸命に勉強する子でした。現役時代は、私立大学に不合格。国立を目指しての浪人生活でした。9月に模試を受けた時のことです。自分が思ったような力を発揮できなかったと思った彼女は、悔しくて、悔しくて、電車に乗らずに、海南の家まで歩いて帰ったそうです。家に着いたのは、夜の11時を回っていました。しかし、その時は、親も、私も知りませんでした。誰にも何も言わずに、いつものように自習をしてきて帰ったようだったそうです。

 

 後で、広島大学に合格して報告に来てくれた時に、「実は、・・・・」とその日のことを教えてもらったのです。一生懸命に頑張ってきた今までの自分に対して、こんな成績しか取れない今の自分が、情けなくて、腹が立って仕方がなかったそうです。

 

 自分を信じて、最後まで貫くのは、なかなか大変なことです。しかし、それが浪人生活かなと思います。辛いこと、苦しいこと、自分を信じられないこともあると思います。それを乗り越えた先に、いいことが必ず待っています。そう信じて後半戦を戦っていきましょう。

2014/08/17

甲子園のラガーおじさん

 昨日は、大学時代の友人と難波で飲みました。やっぱり、おじさんも、たまに都会に出ないといけませんね。人を見るだけで活気をもらえます。昨日飲んだお店も、周りはすべて若い人ばかり。おじさんは、我々3人だけでした。周りから聞こえてくる声、いいですね。

 

 ゴールデンウィーク、お盆、年末。年に3回は、会うことにしています。学生時代の友人とは、気を使うことなく、いろんな話ができていいです。それぞれ、違った職種に進んでいるので、いろんな話が聞けます。新鮮です。また同じような年齢なので、よく似た悩みも抱えています。

 

 このお休みの間は、随分テレビで高校野球を見ました。甲子園のネット裏の最前列の、右から3番目。ちょうど右打者が構えた時の、バットの位置に、「ラガーさん」がいます。黄色いキャップ、ラガーシャツを着ている人です。彼は10年ほど前から、選抜と夏の大会をすべて同じ席で全試合観戦しています。高校野球の世界では、ちょっとした有名人で、一緒に写真を撮っている球児もいるほどです。

 

 この人は、東京出身で、私より7歳年下の48歳。実家の印刷会社を手伝っています。高校野球の期間中は、ネット裏近くの8号門付近で、野宿しているそうです。本まで出版しています。普通にホテルに泊まっていれば、いつも必ずあの席に座ることができませんよね。

 

 今日も第一試合から、黄色と黄みどりのストライプのシャツを着て、定位置に座っています。好きなんでしょうね。野球が。きっと高校野球をやっていない人かもしれません。やっていない人ほど、思い入れは強いのです。

2014/08/16

終戦記念日

 昨日は、終戦記念日。本当は、「敗戦記念日」と呼んでいいのだが、どういうわけか、終戦記念日という言葉を使うことで、「やっと戦争が終わった。我々日本人は、平和を待ち望んでいたんだ。」という気持ちを表したいという誰かの意図が隠されているのか。それとも直接的な表現を嫌う日本人独特の心が作った言葉なのか。対華21カ条の要求を受け入れた中国は、その日を、「国恥記念日」と呼んだのとは、大きく違っている。

 

 我々の世代は、「広島、長崎に原爆が投下され・・・」という書き方で、誰が投下したのかをあいまいにするような教科書で育ってきた世代だ。中には、「落としたのはソ連!」という生徒も出てくる。教科書の思惑通りの結果となる。京都や奈良には、文化財が数多くあるから、アメリカは、空襲を行わなかったという話を、学校の授業で聞いて、それを本当に信じていた時代に生きてきた。事実、法隆寺を始め、日本の6か所に、その意見をアメリカ政府に進言したというアメリカ人学者に対する「感謝塔」が今も残っている。その学者自身が、「一度もそんなことを政府に対して言ったことはない。」と否定すればするほど、それを謙遜と日本人は受け取ったようだ。

 

 京都は、小倉、横浜と並んで、原爆を落とす都市の候補に挙がっていたから、その威力を詳細に調べるために、空襲を行わなかったにすぎない。奈良は、軍需関連の施設が少なかったために、優先順位が低かっただけだ。

 

 戦争を体験した人が、だんだんと数少なくなっていく。我々の世代は、戦争を直接体験した祖父母から話を聞くこともあった。また、両親は、幼少期を戦時体制の中で過ごしてきた世代だ。身近な人から直接体験の話を聞くのは、心に加わる力が違う。

 

 8月13日、NHKで、「狂気の戦場 ペリリュー」というドキュメンタリー番組を見た。日本は、それまでは、潔く自決をすべしという作戦から、「徹底抗戦」に変化した最初の作戦だった。「3日で戦いを終わらせる」とやってきたアメリカは、それを終わらせるのに、甚大な損失を被り、1700人を超える死者、負傷者も多数、その中には、精神に異常をきたした者が数多くいたらしい。テレビでは、その姿が映し出されていた。この戦いが、次の硫黄島の戦いに続いていくことになる。

 

 テレビのニュースで、8月14日に空襲を受けた秋田の町が取り上げられていた。その時16歳だった少女は、自分の家の前を、焼け出された人が、何人も通って行くのを見たという。その人たちに、お水をあげていた。その中に、赤ちゃんを背負った若いお母さんが、歩いてきた。背中におぶっている赤ちゃんを見ると、首から上がなかった。その姿を見たくなかったから、そのお母さんに、「あっちの林の所に行って、赤ちゃんにお乳を飲ませてあげたら。」と言った。その言葉を言った自分を、責めながら、責めながら、ここまで生きてきたという。

 

 12時なると、甲子園球場では、サイレンが響く。平和なこの時代。自分の意見を誰に憚ることなく発言でき、自分の夢を追い求めることが、若者にとっての一番大切なことであるこの時代に生きるものとして、「戦争」というものを、今一度考えてみなければならない。

2014/08/15

小倉高校対桐蔭高校 練習試合

 昨日は、母校桐蔭高校に練習試合を見に行ってきました。対戦相手は、小倉高校。関西遠征で、昨日はPL学園と試合を行ってきたそうです。

 

 桐蔭高校では、大阪の市岡高校と昔から定期戦を行っています。その定期戦が今日、桐蔭であります。それともう1つ、大切にしている学校が、小倉高校です。小倉高校からは、OBの方が何人もついてこられていました。保護者も沢山帯同していました。小倉高校OB会は、本当に素晴らしいOB会です。我々のOB会は、まだまだ足元にも及びません。

 

 小倉高校、いいバッティングをしています。桐蔭のエースが、打ちこまれてしまいました。大敗です。小倉高校は、チェンジになって攻守が入れ替わる時、守っている時は、必ずマウンドで投手や、野手がボールを受け取って、グラブをはずして、ボールを手でこねて、ピッチャープレートにそっと置きます。点差のついた大味な試合になってしまっても、その行動は変わることはないのです。それを見た時に、「伝統」は、ちゃんと語り継がれていると思いました。

 

 以前にも書いた話ですが、もう一度書きます。桐蔭高校にとって、小倉高校の存在が、大きくなったのは、昭和23年の夏にまでさかのぼります。今日は終戦記念日ですが、戦争に負けて、焼け野原になった日本ですが、その翌年から、甲子園の大会が始まっています。昭和21年は、浪華商業、22年は、小倉中学が優勝を飾っています。23年は、新制高校になって初めての大会です。小倉高校の大会2連覇のかかった決勝戦で、桐蔭は、小倉高校と対戦しました。

 

 小倉高校は、伝説の福島投手。野球殿堂入りを果たしました。桐蔭は、のちにプロに進んだ左腕西村投手。ともに譲らず0対0のまま試合は進んでいきます。試合途中で、桐蔭の捕手広谷のマスクが壊れてしまいました。今と違って物資が全く日本にないそんなころです。それで、小倉高校の原捕手のマスクを借りることになりました。回が進んでいくと、広谷はあることに気づきます。マスクについた汗が、きちんと拭きとられているのです。よく見てみると、原捕手が、チェンジになった時に、タオルをポケットから出してきれいにしてから、そっとホームベースにおいているのでした。

 

 その話を、のちにOB会長になった広谷さんから、我々の世代の桐蔭野球部員たちは、直接聞いたものでした。この話を、現役のころは、当たり前のことのように聞いていた自分を恥じてしまいます。そういう話を聞くことこそが、「伝統」だと思います。あの夏から66年の歳月が経った今でも、小倉高校野球部には、原さんがタオルでマスクを拭いたそに精神が、脈々と受け継がれているのを昨日知って、心が熱くなりました。

 

 いつの日か、小倉高校、桐蔭高校が、甲子園でもう一度対戦できる日を本当に楽しみにしたいと心を新たにした1日でした。

2014/08/14

市立和歌山対鹿屋中央

 

市立和歌山対鹿屋中央高校。いい試合でした。4万人を越える満員の甲子園で、試合ができる。選手たちにとっては、最高の喜びだったと思います。両チームともによく鍛えられていました。緊迫したいい試合でした。

 

 

 この試合の解説をしていたのが、元前橋高校監督の松本稔さんです。完全試合の松本投手です。高校野球の監督らしからぬソフトな解説がいいですね。そんな中にもユーモアーにあふれていて、こんな監督に指導されたいなと思います。私の1学年下で、一般入試で筑波大学に進み、外野手に転向し、ベストナインにも選ばれています。その後、大学院に進学し、今度は、2年間、クラブチームでラグビーを経験しています。視野の広い監督に指導してもらえる選手たちは、幸せです。

 

 

 昨日の試合も、市立和歌山は、内野の守備が完璧でした。伝統的に市立和歌山は、守備が鍛えられています。試合前のノックを見ただけで、相手チームを圧倒できるほどです。ボール回しから始まって、バックホーム、1塁送球、ダブルプレー。本当にうまいです。桐蔭が対戦する時は、私は、あまりノックを見ないようにしているほどです。

 

 

 今日もピンチをダブルプレーで切り抜けました。市立和歌山のペースと言えます。投手も粘り強く投げました。緊迫した試合は、和歌山大会と同様延長戦へ。113塁のピンチ。打球はセカンドに。少し強い当たりで、バウンドが変わりました。打球に対して正面に入ったセカンドの左側に打球の方向が変わりました。セカンドは、よく反応しました。不安定な姿勢でしたが、捕球をしました。普通のセカンドなら、取ることができなかったと思います。右側に打球がイレギュラーしていたならば、ダブルプレーを取ることもできたと思います。あっけない幕切れになりましたが、それは、セカンドがバウンドが変わっても、難なく取ったからなのです。

 

 

 市立和歌山のエースで主将は、本当に落ち着いています。和歌山大会の決勝戦の後のインタビューも同じように落ち着いていました。昨日も、少し涙は見せていましたが、2塁手や、3塁手の2年生をかばいながら、最後までキャプテンとして立派な姿でした。いいチームだったと思います。立派な試合でした。

 

 

 あと2週間で秋の大会が始まります。今日は母校桐蔭に小倉高校が来て、試合することになっています。見に行ってこようと思います。

 

 

 

2014/08/13

恐るべし、ひごペット!

 昨日は、和歌山イオンに立ち寄ってから、実家に行ってきました。父も母も元気で相変わらず、話が面白かったです。そのあと、久しぶりに、パームシティに行ってきました。

 

 ここができた時に、すぐにジストスポーツクラブに子供を入会させて、スイミングに来させたなあ。できたばかりで、輝いていたころでした。昨日は、すぐ近くに、大きなイオンができて、どうなったんだろうかという思いもありました。

 

 かつては、駐車場を探すのも苦労したことがありましたが、昨日は、どこでも好きなところに車をとめられました。外にあるテナントは随分変わったなあ。塾も入っています。店内をぐるりと回りました。そして、東館奥にあるペットショップにびっくりしてしまいました。ひごペットが入っていました。

 

 ショッピングセンターに入っているペットショップは最近どこも、人気のある売れる犬しか置いていないところが多いです。トイプードル、チワワ、ミニチュアダックスなどがほとんどです。そして、値段も高い。こんなにするのかというような値段をつけています。そして、犬、猫以外はどほとんど置いていない所もあります。

 

 ところが昨日は、いろんな犬がいました。キャバリアもいました。値段も納得のできる値段をつけています。店内に入ってみるとさらにびっくり。金魚や熱帯魚も沢山の種類がそろっています。爬虫類も数多くそろっていました。ウサギや、ハムスターなどの小動物も沢山いました。

 

 鳥のコーナーに行くと、セキセイはもちろん、古櫻インコも種類が豊富で、オカメインコもいろんな種類がいました。中型インコ、オウムも沢山いました。久しぶりです。こんないすごい品ぞろえのペットショップを見たのは。

 

 犬も、色々飼ってきました。最初は、アフガンハウンド。ブルードミノという種類で、手入れが大変でしたが、子供がいないころだったので、子供のように育てていました。そのあと、アメリカンコッカ―スパニエルを2匹。今、家にいるのは、キャバリアとイタリアングレイハウンドの2匹です。

 

 鳥も色々と飼っていました。小櫻インコを手乗りにしたり、オカメインコを15年飼ったり、美声インコや、秋草インコを飼ったりしていました。鳥を飼うために庭に温室を設置したりしたこともあります。今のようにパソコンがない時代でしたから、「月刊オールバード」という雑誌も定期購読していました。

 

 今はもう鳥は飼っていませんが、昔のことが蘇ります。店員さんと話をすると、その店員さんも、鳥が大好きで、オウムを始め、30匹飼っているそうです。

 「すごいですね、このお店!」

 「鳥だけをずっと1時間ぐらい見つめているお客さんもいますよ。」

 

 マニアにとっては、たまらないお店です。売れるものふだけを売るのではなくて、そのお店のポリシーを見たような気がします。こんな商売をするお店は、ぜひ頑張ってもらいたいなあ。ひごペット恐るべしでした。